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腰痛

2016年 05月22日 23:59 (日)

二十日に上京する少し前から痛むようになってきた腰痛がひどくて仕事に障るほどになって来た。

「座り仕事の宿業病だ」

そういわれてしまえば実も蓋もないのだけれども、ここまで痛いとどうにもならない。
整体もあまり効果がないようだから、何か手を考えなければならない。


高野秀行さんに『腰痛探検家』という本があり、これも腰痛を治すために七転八倒する話なのだけれども、
これも最終的にはなるほどという結論に達していた。
私も同じ道をたどることになるのだろうか。
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退院

2016年 01月18日 07:28 (月)

 松の内の四日に検査をし、そのまま入院をして二週間。
 本日漸く退院の運びとなりました。

 数値の方も入院前と比して大きく下がり、後は投薬と生活改善で、とのこと。
 主治医の先生はじめ病院の皆様には感謝の言葉もございません。

 さて、独り身で退院となると荷物がかさばるもの。
 昨日の内に、不要不急のものは外出して自室へ送り返してきました。
 大きな郵便局は土日でも荷物を預かってくれるのでありがたいことです。

 郵便局で発送の手続きをしていると、後ろに並ぶお婆さんがちらちらとATMの方を気にしています。
 見ると若者の二人組みがスマホを片手に悪戦苦闘。
 これはひょっとして、と思っているとお婆さん、

「あの人たち、振り込め詐欺に引っかかっているんではないかしら……?」

 頬に手を当てて思案顔のお婆さんを見て、汚れた自分の心を恥じ入りました。
 私はむしろ逆の可能性の方を考えていたのに。

 結局は振込み日が翌営業日になるからどうのこうの、という話だったようです。
 良かった。振込め詐欺被害者はいなかったんだ……


 というわけで、本日午後より娑婆へ戻って参ります。
 またよろしくお願いいたします。

入院しました

2016年 01月04日 23:59 (月)

 入院いたしました。

 以前から体調が思わしくなかったのですが、年末に持ち崩してからどうにも建て直しがきかずに入院いたしました。
 活き活きはしておりませんが生きておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。

 また、コミカライズ版『異世界居酒屋「のぶ」①』が大変ご講評を頂いており、増刷が決定しました。
 これもヴァージニア二等兵先生、ヤングエース編集部、キャラクターデザインの転先生、宝島編集部、
 営業、印刷、取次、運送、書店、そして何より読者の皆様のお陰です。
 本当にありがとうございます。

明けましておめでとうございます

2016年 01月01日 00:00 (金)

 皆さま新年あけましておめでとうございます。
 旧年中は大変お世話になりました。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 2015年は運と縁とに恵まれて4冊の本を世に送り出すことができました。
 今年は可能であれば5冊に挑戦してみたいと思います。

 ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。


 蝉川夏哉 拝

ジョンについて

2015年 12月28日 23:59 (月)

 避諱(ひき)という習慣が、かつてあった。
 目上の人間の諱(いみな)を用いることを避けるということで、東アジアによく見られる。
 例えば後漢の光武帝劉秀が即位したために、それまで「秀才」という言葉が「茂才」を改められたりした。
 このような風習があるので、本朝では過去の偉人の名を子孫が名乗ることは稀である。

 対して西欧では祖先の名を我が子の名とすることが多い。
 カール大帝の第三子はフランク国王ルイⅠ世を名乗ったが、フランス国王にはルイを名乗るものが数多いたことは〈太陽王〉の例を引くまでもないことである。

 ドーバー海峡を隔てたイギリスに於いても、先祖と同じ名を号する国王は数限りない。
 ジョージ、エドワード、ヘンリー……
 その中でどうにも嫌われている名が一つある。
 ジョン。
 英国人の名としてはありふれているが王位についたのはプランタジネット朝のジョンただ一人だ。

 1167年の12月24日にヘンリーⅡ世の末子として生を享けたジョンは、父から領土を与えられなかった。
 この当時のイングランドの王子としては異例のことである。
 珍事だから、その名で呼ばれた。
 〈欠地王〉ジョン。
 酷い呼び名である。

 彼の生涯は波乱万丈で、当時大陸に有していた領土を大きく減らしてしまったことで〈失地王〉とも呼ばれる。
 あまりに不満を抱かれたので、ついにはマグナ・カルタを認めざるを得なかった、というのが唯一の事績であろうか。
 ともかく、英国王の座に就こうとする者が好んで名を拝借したい人物とは思われていない。
 好物は桃だったようだが、それが仇となった。死因は赤痢。桃の食い過ぎとも言われる。


 さて、イギリスには今一人有名なジョンがいる。
 ジョン・レノン。
 言わずと知れたザ・ビートルズの一員だ。
 グレートブリテン島の北西部に位置するリヴァプールの出身者四人からなる彼らは一世を風靡し、今も愛され続けている。
 彼の父が〈欠地王〉から名を取ったわけではない。
 だが、二人のジョンに全く関わりがないわけでもない。

 〈欠地王〉の方のジョンは後世に寄与するところの乏しい人物である。
 ただ、妙な場所に都市建設の勅許を出した。そこは”dirty pool”と呼ばれていた小さな村だ。
 なんと彼はこの小さな村に自由都市の特権まで与える。1207年のことだった。

 村は人口600人ほどにまで増えたが、ここで一つの事件が起こる。
 近郊の港町チェスターが泥の堆積により港湾機能を大きく衰退させたのだ。
 リヴァプールと名を変えていた”dirty pool”は一躍、重要な港湾として脚光を浴び、大西洋三角貿易で重要な地位を占める。

 その後、紆余曲折あってリヴァプールはまた衰退することになるのだが、そこに四人の男が生まれた。
 ポール・マッカートニー。
 ジョージ・ハリスン。
 リンゴ・スター。
 そして、ジョン・レノン。
 リヴァプールという街がなければ彼らは生まれず、従って彼らの発表した213曲もこの世で演奏されることはなかったろう。
 〈欠地王〉にして〈失地王〉を嘲られるジョン王がいなければ。
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